合格おめでとう。この一年間の浪人生活、本当によく頑張った。塾に行かず、スタディサプリと参考書での勉強。不安もあったが、勉強を続けてきたことが結果に繋がったと思う。第一志望には落ちたけど、後期試験で北大に合格できた。
君は今、合格したことへの安堵と喜びで胸がいっぱいなはずだ。そして、気持ちを新たに勉強を頑張ろうと意気込んでいると思う。今からでっかい本屋に行って大学の参考書を買い、大学の勉強を始めるつもりなんだろう?。
その姿勢はすごい。勉強に対するガッツは、今の僕にはほとんどないから尊敬する。でも、ちょっと待って欲しい。君は本当に、勉強したいと思ってる?
受験勉強を頑張れたのは、学歴に輝きを感じ、大学での勉強は面白いと期待していたからだ。学問自体に興味があって勉強してきた訳じゃない。でも、一年間勉強し続けた結果、受験勉強を頑張れた本来の理由を忘れてしまった。自分は意識の高い人間で、勉強をするために大学に行くんだと錯覚してしまった。
その幻想は、札幌の桜よりも早く散った。残念なことに、大学の9割5分の授業はクソつまらなかった。まあ、大学の教員は研究のプロであって、教えるプロじゃないから仕方ない。無機質な講義を受け、テストのために勉強し、評価される。中高と大して変わらない教育システムだった。本当に勉強が好きなら、教育システムなんて関係なく勉強できるはず。それだけのことで勉強が嫌になってしまった僕は、もともと勉強が好きじゃなかったことに気付く。
それに、受験勉強の時「時間を忘れるほど集中した」ことはそんなになかった。後悔や不安や恨みなどが、勉強を始めた途端に襲ってきた。勉強すると脳は疲れるから、脳が勉強させないように邪魔していたんだと思う。でもそうやって自分と厳しく向き合ったことが、受験勉強での成長の一つではあることは確かだ。そして君は、浪人中の12月に悟った。
「自分より不幸な境遇にいる人はこの世界に何十億人もいる。目標があり、それに向かって努力できる環境にいる自分は、めちゃくちゃ恵まれている。恵まれた環境に生まれ育った僕は、いつかそれを社会に返さなきゃいけない。」
何かのスピーチで使えそうな名言だし、とても立派だと思う。でも、今思い返すと、一つだけ気になるところがある。それは最後の「返さなきゃいけない」だ。君は社会に貢献することは義務「have to」だと思っている。「want to」じゃない。
浪人生活を続けるうちに、「環境問題の解決に貢献したい」という思いが強まっていったけど、それが心の底から叶えたいものなのかは疑わしい。
他者を救うことによって、自らが救われようとする。自らを一種の救世主に仕立てることによって、自らの価値を実感しようとする。これは劣等感を払拭できない人が、しばしばおちいる優劣コンプレックスの一形態であり、一般に「メサイア・コンプレックス」と呼ばれています
岸見一朗、古賀史健「幸せになる勇気」(ダイヤモンド社p162)
きっと君は、浪人している自分に劣等感を感じ、環境問題の解決する救世主になろうとした。そんな馬鹿な。と思うかもしれない。でも入学して半年後には、僕がやりたかったのはこの分野なのか?と悩むことになる。
一年間勉強し続けた結果、勉強が好きじゃないのに、勉強しに大学に行くと勘違いしてしまった。劣等感から、自分は救世主になると言い聞かせた。そうして今、君は「環境問題の解決に貢献したい」ので「大学の勉強を頑張ろう」としている。
さっきも言ったけど、入学してしばらくすると、君は自分を騙していたことに気づく。その時「僕はちょっと張り切りすぎてたな。OK、OK。勉強はほどほどにして大学生活楽しもうか!」と切り替えられればよかったんだけど。でも受験で培ったもう一つの信念が、「楽しむ」ことを拒んだ。
それは、「一生懸命に生きる」だ。受験を通して一生懸命に生きることが美徳になった。授業参観で発表すれば、親が感動して泣き出してしまいそうなこの信念の、一体何がよくないのだろう。
自分のいる環境や与えられたことを精一杯できるなら、それは「何でも一生懸命」にできる人だ。でも君は違う。受験という大きな目標や自分のやりたいことなら頑張れる「訳あり一生懸命」だ。「訳あり一生懸命」な僕たちは、日々を全力で生きたいと思ってるけど、つまらないものに出会った時、それをやる意味を考えてしまう。こんなことに時間を使っていいのかと考えてしまう。
大学に入学してから今日にいたるまで、僕は何度も何度も編入や中退を考えてきた。受験みたいに、全力で頑張れない自分が嫌だった。つまらない授業や勉強に時間を使っていいのか?80歳まで生きたとしたら人生は4000週で、20歳の僕にはあと3000週しかない。しかも、時間は時が経つにつれて早く過ぎる。無駄なことはしたくない。情熱を注げることだけをやらねば。僕は生き急いでいた。
「何でも一生懸命」な人になれば、問題は解決する。「これをやる意味は?」なんていちいち考えずにとりあえずやってみる。そのうちできることが増え、好きになっていくものだから。できれば君も「何でも一生懸命」な人になって欲しいけど、一気に変わるのは難しい。思考を変えるには、砂漠を森林に変えるように、根気よく取り組まなきゃいけないから、「何でも一生懸命」にはすぐにはなれない。でも「訳あり一生懸命」は自分を苦しめることになる。だから今は、一生懸命を、努力ではなく楽しむ方向に向けてほしい。
受験は君を大きく成長させてくれた。でも、「好奇心のアンテナ」は壊れてしまった。テレビを見ること、漫画を読むこと、ゲームをすること許してあげよう。映画を観に行こう。友達に会いにいこう。今やりたいことに目を向けて、「好奇心のアンテナ」を取り戻そう。せっかく勝ち取った大学生活なんだから、精一杯楽しまなきゃもったいないだろ?
大学で遊んでいる学生に、冷たい目を向ける人はいっぱいいる。僕もそうだった。でも他人の生き方を認められないなら、それは幸せじゃない証拠だ。もっと肩の力を抜いて欲しい。遊ぶことを許してあげよう。まずは自分が満たされよう。そうすれば、自分も誰かを満たしたいと思えるから。
僕は大学一年の冬にヒッチハイクをした。(詳細はこちら→ヒッチハイクで帰省してみた|うしーぷ|note)この経験で、僕はたくさん満たされた。乗せてくれた人の優しさに感動した。僕も誰かを助けたいと心から思えた。そうやってたくさん満たされた上で、「環境問題の解決に貢献したい」と思えたら。これは劣等感からくるものではなく、僕の使命だと言えるだろう。
授業だけに焦点を当ててしまえば、大学はしんどい場所になる。でも北大には、イベントを開催している人や起業している人など、面白いことをやってる人が沢山いるし、挑戦できる環境がある。引き出しは沢山あって、それを使うかどうかは君次第なんだ。
まずは、「好奇心のアンテナ」を取り戻そう。
そのためにも、、、
今日はTSUTAYAに行っておいで。
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