美しいもの、素晴らしいものを見に行くことだけが旅ではない。自分の生まれ育った環境の豊かさを自覚できることも、また旅の醍醐味である。この夏、大学のプログラムでバングラデシュを訪れた。研修の詳細は規定上書けないので、移動中の景色から感じたことをここに記したい。

僕は生まれて初めて野良犬を見た。道路は、車、バス、三輪自動車でいっぱいだった。1秒に5回鳴るクラクション。首都ダッカですら信号は少なく、たくさんの人が車で溢れる道路を横断していた。交通事故は毎日起こると現地の方は仰っていた。僕もトラックが横転しているのを見た。

絡まり果てた電線を見て、やり過ぎたハロウィンのいたずらかとツッコミたくなった。信号待ちで停車していると、片腕のない人やおばあちゃんが、物乞いをしてきた。地図を腕一杯に広げ、何かを売ろうとしてきた人がいた。都市部を離れていくと、簡素な屋台が目に入った。平日だというのに、幼い子が店番をしていた。

アルコールと卵を混ぜて腐らせたようなにおいがした。窓を覗くと、ゴミ山があった。車内でも臭いに耐えられないというのに、ゴミ山で作業をしている人がいた。バングラデシュでは、ペットボトルなどの再生可能ごみが分別された後、焼却をせずに処分場に捨てられる。以前は紙や生ごみがほとんどで、ごみ山は自然に分解され土に戻っていたが、現在はプラスチックごみの増加が問題になっているそうだ。

人も、ヤギも、牛も、堂々と線路を横断していた。ある田舎の駅のプラットホームは、電車の1/3の大きさしかなかった。日本でいう正月やお盆といった帰省シーズンは、屋根の上に人が溢れかえるそうだ。しかも、屋根上はタダらしい。

一方、首都ダッカの繁華街は栄えている。上の写真は、おしゃれなレストランのあるビルの外から撮影した。建物も立派で、明かりが眩しく活気があった。レストランは日本の一流ホテルくらい綺麗だった。近くのお土産屋さんは、高級アパレルブランドのような内装で、店員さんは美男美女ばかりだった。
バングラデシュは、以前はアジア最貧国と呼ばれていた。しかし、近年の経済成長はめざましい。GDP成長率は、2011年から19年まで、毎年6%を越えていた。7%が10年続けば経済規模は2倍になるので、この成長率は驚異的だ。新型コロナウイルスの影響で停滞したものの、現在は勢いを取り戻している。
だが、経済成長の恩恵を、バングラデシュの国民全員が受け取れているとは思えなかった。都会と地方の格差は激しい。腕のない人は、死ぬまで物乞いを続けるのだろうか。働いていた子供は、学校に行けないのだろうか。交通事故が無くなる日はくるのだろうか。社会保障も教育もインフラも、まだまだ不完全だと感じた。
そんなバングラデシュに行ったけど、何かをしたいと思わなかった。ソーシャルビジネスを起こしたい!とか、今すぐ寄付したい!とかは全く思わなかった。ただ、日本に帰り、整備された道路や、行進のように進む車の列を見て、驚きさえ感じた。子供が全員初等教育を受けられるのは、授業の質がどうであれ、恵まれたことだとわかった。
「自分より不幸な境遇にいる人はこの世界に何十億人もいる。目標があり、それに向かって努力できる環境にいる自分は、めちゃくちゃ恵まれている」
浪人時代に悟ったこの言葉。あの頃の僕はその意味を表面的にしか理解していなかった。バングラデシュに行くことで少しだけ理解できた。今の僕に「大学受験」のような大きな目標はない。だが目標がなくとも、日々を一生懸命に生きたいと思う。自分の価値観の軸を探し続けたい。できることを積み重ねていきたい。新しいことにチャレンジしたい。僕らが自己投資できる時間とお金は、世界の何十億人よりも多いのだから。
P.S.
浪人時代に悟った言葉に関する記事はこちらです。
コメント