友だちだからって言えますか

読書感想文

私は本書の表紙を見た時、ゲイの少年の話なのかなと思った。タイトル「ぼくはイエローでホワイトで、ちょっとブルー」には三つも色が入ってて、LGBTQのレインボーを連想させたからだ。

思い込みとは恐ろしいものだ。昔「進撃の巨人」が爆発的にヒットした時は、「なんで野球マンガがこんなに売れているんだろう」と思った。そう、「進撃のジャイアンツ」だと勘違いしていたのである。

「ぼくはイエローでホワイトで、ちょっとブルー」は、著者の息子の中学生活を綴ったものだ。著者は英国の南端の街に20年以上暮らしている。配偶者はアイルランド人だが、息子のルックスは東洋人だ。息子は名門カトリック小学校に通っていたのだが、真逆とも言える中学を選んだ。校内改革によりランキングを上げてきているものの、最近まで底辺にあった学校だった。

そこはもはや、ピーター・ラビットが出てきそうな上品なミドルクラスの学校はなく、殺伐とした英国社会を反映するリアルな学校だった。いじめもレイシズムも喧嘩もあるし、眉毛のないコワモテのお兄ちゃんやケバい化粧で場末のバーのママみたいになったお姉ちゃんたちもいる。

ブレイディみかこ「ぼくはイエローでホワイトで、ちょっとブルー」(2019)新潮社 p4

入学初日に「夏休みはずっとお腹が空いていた」と言う生徒や、笑いながら人種差別発言をする生徒がいる。裕福な家庭の子どもが多かったカトリック校では、とても考えられない環境だった。

それでも息子は持ち前の親切さと公平さで、日々起こるトラブルに立ち向かう。その姿がめちゃくちゃかっこいい。今回は、個人的に熱くなった息子の名言を二つ紹介する。

何かを目指せばいつだって

息子が通う中学校では、7年生(日本では中学1年生)はミュージカル公演を行うのが恒例行事となっている。今年の作品は「アラジン」で、息子はジーニー役に抜擢されていた。主演のアラジンはハンガリー移民の両親を持つダニエル。ダニエルは美男子なのだがレイシスト(人種差別者)で、息子の声を「春巻きをのどに詰まらせたような東洋人の声」と揶揄するほどである。

しかしダニエルは本番でやらかしてしまう。それを息子がカバーし、ミュージカルは無事に終わった。それまで意地を張っていたダニエルだが、息子のフォローに素直に感謝し、二人は打ち解けた。ミュージカルの帰り道で息子は言った。

「ダニエルと僕は、最大のエネミーになるか、親友になるかのどっちかだと思う。得意なことが似ているからね」

ブレイディみかこ「ぼくはイエローでホワイトで、ちょっとブルー」(2019)新潮社 p40

最大の敵は、最高の友にもなれる。そんなこと、考えたこともありませんでした。

この話の後にもダニエルは度々登場するが、息子とすっかり仲良くなっていた。そんな様子を見ていると、なんだか羨ましい。

私の大学生活には、最大の敵どころかライバルすら現れていない。いなくても別にいいのだけど、中学時代が懐かしくなった。私は部活の外周ランで、全力で走っていた。「ぜったい負けねえ!」と勝負していた同期がいたからだ。自己ベストを出せた時はいつも、数メートル先を走るあいつがいた。

何かを目指せばいつだって、ライバルは現れる。今私にライバルがいないのは、単に何も目指していないからからだ。豊かな人間関係が豊かな人生を作るのならば、目標を持って生きるって、すごく大切なことだと思った。

「かわいそう」を超えてゆけ

母親である著者はボランティア活動を始めた。制服をリサイクルし、一学期に一度校内で販売するのだ。だがボランティアの目的はお金稼ぎではなく、貧しい生徒に制服を提供することだ。そこで著者は、息子の友達のティムに制服をプレゼントしようとする。

ティムは「ヤバい」と言われる地区に住む、四人兄弟の三番目。親はシングルマザーだった。ティムの夏休みの思い出は「ずっとお腹が空いていた」。当然、制服を買う余裕もなかった。

息子がティムを家に呼んだとき、著者はティムに制服を渡した。お金を払うと言うティムに、いいのいいのと著者。「どうして僕にくれるの?」とティムに尋ねられ、息子は言った。

「友だちだから。君は僕の友だちだからだよ」

ブレイディみかこ「ぼくはイエローでホワイトで、ちょっとブルー」(2019)新潮社 p113

♪あなたの笑顔に 何度助けられただろう ありがとう ありがとう Best Friend

私史上、最もKiroroのBest Friendを流したい瞬間だった。

息子は「だって制服がなくて困っていたから」なんて言わなかった。息子がティムに抱いていたのは、情けではなく友情だった。上から手を差し出すのではなく、肩に手を回すイメージだろうか。ティムにとっても、「貧しい人」ではなく「友だち」と見てくれたことが何より嬉しかったはず。私達が「貧しい」と思っても、それがティムにとっての日常だのだ。だから貧しいからって、特別扱いされたくはないのだと思う。

先日、ある人の講演を聴いた。その方は二度と手足を動かすことができない。あごで操作する車イスに乗り、人工呼吸器をつけ、24時間の介護を受けて暮らしている。仰っていたのは「嬉しいのは、普通に接してくれること」。公演後にお話をする機会があって、私は好きな食べ物を聞いてみた。カレーが好き(あと餃子も)と笑顔で教えてくれた。私にとってその方は「障がい者」ではなく「カレーが好きなおじさん」になった。

もし著者の息子が、ティムに出会った次の日に制服を渡していたら、「友だちだから」とは言えなかったと思う。二人には共に過ごした時間があったから「友だちだから」と言えたのだ。相手を知ることで、「かわいそう」は超えてゆける。

コメント

タイトルとURLをコピーしました