年末年始、僕はベトナムにいた。大学生が2週間でビジネス創造に挑戦する、武者修行プログラムというものに参加したからだ。全国から18人が集まり、5つのチームに分かれて企画を練り上げた。ビジネスもチームビルディングも、経験値を積めた濃い時間だった。
中でも衝撃を受けたのは「自分にも、他人にも、正直に生きる」仲間や大人の姿だった。僕もそんな風に生きたいと、強く思えた2週間だった。
しかし、劇薬には副作用が付きものである。僕は悪しき習慣を身に付け帰国した。それは「YASHOKU」である。「YOASOBI」みたいに書いたところで、カロリーが夜に駆けて無くなる訳ではない。
ホテルのロビーに集まり作業(残業?)するのが毎晩の恒例になっていた。みんなでパソコンと睨めっこしていると、メンバーの一人がコンビニから帰ってきた。ポテチ、クッキーなどなど、いろんな夜食を買ってきてくれたようだ。次々と袋を破られ、砂糖と油のオアシスが広がっていく。
僕は、いつもは12時までに寝ているシンデレラボーイである。だから連日の深夜作業のストレスは大きかった。前頭前皮質は職務放棄し、誘惑への忍耐力は野良犬以下になっていた。ほとんど条件反射的に夜食に手が伸びる。
帰国後も、ストレスを感じると間食や夜食に走るようになった。菓子パンもほぼ毎日買った。ある晩、夕食は19時に済ませていたにも関わらず、22時に徒歩10分のスーパーにわざわざ行って、半額のサーモン寿司セットとアイスを買ってきた。真冬の札幌なんて、昼間でさえ外に出るのが億劫なのに。夜食がストレス解消の常套手段になってしまったのだ。
このままではまずい。食生活をもとに戻す方法はないだろうか・・・。そう考えながら、なるべく胃の負担をかけないよう、サーモン丼はトロたくになるまで、アイスはシロップになるまで噛みつづけた。そうか!三食のご飯でも噛みまくれば、満腹中枢が刺激されて間食も夜食もいらなくなるのでは?
という訳で、武者修行プログラムから帰国した2週間後、むしゃむしゃプログラムが始動した。30日間、口に入れた固形物を30回は噛むことにしたのだ。
たまに10回も噛まずに飲み込んでしまったこともあったが、30日間継続することができた。ご飯は噛めば噛むほど甘くなるという話は本当だった。他にも、果物や野菜の水分量の豊富さに驚き、食パンはガムみたいに咀嚼しにくいことを知った。狙い通り、一回の食事の満足度が上がった。夜食はしなくなったし、菓子パンはアンパンマンスナック以外は買わなくなった。
効果は食事以外にも現われた。日常での取捨選択が上手くなったのだ。僕は図書館に行くと、欲張って大量の本を借りては、積ん読ばかりしていた。しかし今では、各ジャンルから一冊ずつと決めている。目移りしていた英語の勉強も、多読とアニメ映画に絞った。咀嚼は単純な反復動作だ。これに意識を集中させることは、ある種の瞑想効果があるのかもしれない。
以後、すかした文章が続くのでP.S.まで飛ばすことを推奨しますbyこの記事半年ぶりに読み返した私
噛む回数に比例して、食べ物はその姿を変えていく(口から出して確認したわけではない)。たとえ30回、100回噛もうと、その食べ物が生涯過ごした時間には遠く及ばない。
種は土の中で、じっと発芽の時を待った。小さな芽は、雨に当たり、風にさらせれ、日を浴びて大きくなった。花を咲かせ、枯れ、果実に命を吹き込んだ。摘み取られ、箱に入れられ、店頭に並び、それを僕が手に取った。
食卓に並ぶのは、沢山のバトンが繋がれてきた命である。それを一瞬で胃袋に収めてしまうなんて。テレビや音楽のついでになってしまうなんて。想像すれば終わることのない物語が、目の前のお皿には広がっているのに。
私たちは今まで、膨大な命を口にしてきたし、これからもそうだ。託された無数のバトンを糧に、私たちはどう生きるだろうか?
いただきます。
P.S.
むしゃむしゃプログラムの成功に味を占め、「デザートとおやつは、果物かナッツのみ」という新たな目標を立てたのだが・・・。その話はこちら。
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