努力を諦めれば、長々と諦められない。

読書感想文

本書では、桐島がバレー部を辞めたことで起こった変化が、部活やクラスの上下グル-プが全く違う5人の視点から語られる。

高校生は人生の岐路に立たされながら、部活、恋愛、友人関係で悩む。でも周りには何てことない顔をしている。しかし本当はモヤモヤが止まらず、今にも叫び出しそうなのだ。高校生にはこの本が救いになるだろう。大人であっても、かつての自分と重なる部分がきっとあるはずだ。

この記事では、私にとって特に印象深かった「部活」に関わる部分を取り上げた。

勝ちたいよりも、居心地のよさ

全員に好かれて、それで人の上に立とうだなんて、そんなこと達成できた人はいるのだろうか。きっとリンカーンとか、そういうレベルなんだろう。
だから、だからっていうか、もちろん、桐島もできなかった。

朝井リョウ(2012)「桐島、部活辞めるってよ。」集英社文庫 p33

エースでキャプテンの桐島がバレー部を辞めたのは、チームで一人浮いてしまったからだった。チームのために、桐島は厳しい言葉をかけ続けた。桐島に悪気はないことはみんな分かっていたが、少しずつ溝ができてしまった。

日本中の悩めるリーダーが、桐島と一杯飲みたくなるシーンである。

私も桐島と飲みたい。なぜなら中高で運動部の部長だったからだ。当時を少し振り返りたい。「お前の話はつまみにならん!」という方は下の二段落を読み飛ばして下さい。

中学では、私はやる気のないメンバーに容赦なく怒声を浴びせた。キレることにためらいはなかった。でも、引退した後に、言葉で随分傷つけしまったと反省した。そこで高校では怒りは使わず、ビジョンと背中で引っ張る部長を目指した。全然できなかったけど。

今思うと、中学の僕が握っていた言葉のナイフは、自分自身も脅かしていた気がする。厳しい言葉を振り回しながらも、メンバーに嫌われることをどこかで恐れていた。仲間外れにされるという無意識の恐怖が、私のリーダースタイルを変更させたのだと思う。

別に孝助のイライラがメンバーに伝染した訳でも、日野のへこんだ気持ちが伝染した訳でもない。たぶん一日に一ミリずつとか、きっとそれは本当にわからないくらい、まるで夕方が夜になっていくように、桐島はぽかんと浮かんでしまった。

朝井リョウ(2012)「桐島、部活辞めるってよ。」集英社文庫 p35

不満を一人で消化できるほど、私たちは強くない。エースでキャプテンの桐島の言葉に、誰も何も言い返せなかった。だけど不満が少し態度に出て、それが他のメンバーに伝わってき、チームと桐島の距離が離れてしまったのだと思う。

少年マンガでは、メンバーがバチバチにぶつかり合う。言いたいことを素直に言う。憧れるけど、憧れるからこそ、やっぱフィクションだよなと思ってしまう。多くの人にとっては、試合に勝つことよりも「部活内での居心地がいいこと」の方が切実な願いじゃないだろうか。自分に居場所があると知って初めて、チームのために戦いたいと思えるからだ。孤独をバネに「見返してやる!」と頑張れる人は、なかなかいないような気がする。

結局、桐島はどうなってしまうのか?作中で桐島は何も語らないし、彼が何かを乗り越える訳でもない。なのに読み切った後、「桐島、戻ってこいよ!」とエールを送らずにはいられない。

全力でやる意味ってなんだ?

別に、甲子園を夢見なかったわけじゃない。だけどこの野球部じゃ来年の県大会も勝てないな、というじっとりとした諦めは、野球部全員を包んでいた。
俺はそれを嗅ぎ取ったとき、もうダメだと感じた。アツくなれねーわ、ここ。

朝井リョウ(2012)「桐島、部活辞めるってよ。」集英社文庫 p183

菊池宏樹は桐島の同級生。スポーツ万能で、中学では割と有名な野球選手だった。県立進学校の野球部に入ったものの、「アツくなれねーわ」と部活をサボる日々。

校庭ではなんやかんやボールを追いかけたりラケットを振り回したりしている生徒がたくさんいて、俺は全員まとめて馬鹿だなあと思うときがある。別にそれで食っていくわけじゃないんやし、全国大会に行けるわけでもないし、友達なんてクラスの奴らで十分やし、何が楽しくて夜まで汗かいとるんやろ、なんて思う。

朝井リョウ(2012)「桐島、部活辞めるってよ。」集英社文庫 p183

かわいい彼女と帰りながら、宏樹はこんなことを考えているのだ。私はお似合いな二人の間を自転車で突っ切り、冷や汗をかかせたいと思った。

しかし小説の最後で、宏樹は自分の本心を悟る。

はじめからさぼるつもりなら、こんな重たくて大きなカバンで学校に来ない。馬鹿みたいに道具だって毎日ちゃんと持ってきて、だけどサボることで誤魔化していた。
一番怖かった。
本気でやって、何もできない自分を知ることが。

朝井リョウ(2012)「桐島、部活辞めるってよ。」集英社文庫 p209

なんや宏樹、ちゃんと分かっとるやないかい。金髪のチャラ男がバスで席を譲った時みたいに、宏樹がめっちゃいいヤツに見えた。

私はこれを読んで、全力で部活をやる意味の一つは、本気でやっても、何もできない自分を知るためだと思った。夢を見て、全力で練習して、なのに負ける。越えられない壁があると知る。これを思春期で経験しておくことは、けっこう大事なんじゃないだろうか。

大学受験の話になるが、私は現役・浪人の二回とも、第一志望に落ちている。しかし落ちた時に感じたことは全然違った。最初から浪人するつもりだったので、1回目は「来年頑張ればいいや」だった。

1日10時間弱の勉強を続けた翌年、ついに迎えた試験当日。理科の問題を解いている時、私は悟ったのだ。

「あ、ここ、やっぱレベル違うわ(笑)」

湧き上がってきたのは、悔しさでも闘争心でもない。3日ぶりのお通じのような、なんとも言えないすがすがしさであった。後期日程で他大に受かった時に第一志望をきっぱり諦められたのは、等身大の実力がはっきり分かったからだと思う。

「若者の可能性は無限!」だとよく言われるしかし、無限なのは妄想であって可能性は有限なのだ。

無限に広がっていそうな可能性から、自分が掴めるものを探り当てなければならない。本気で取り組むには、時間とエネルギーがいる。本気で取り組むとは、それらを使って他にできることを捨てるということでもあり、本気でやっても何もできない可能性に立ち向かうことでもある。

「俺だって本気を出せば・・・」という可能性を引きずりながら歳をとるのか、本気でぶつかって諦めて(目標達成できたらもちろんハッピー)、次の一歩を踏み出すのか。

弱小校でも、プロになるつもりが無くても、等身大の自分と向き合える場所がある。

それが部活なんじゃないかなと思う。

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