【幸せとは?】ミヒャエル・エンデの「鏡のなかの鏡」に学ぶ

鳥熱い話

昨日、面白い大人とお話させていただいた。実践的な教育の場を創ろうと、市民大学を創設した方だ。たまたま近くに出張しに来られると知り、アポを取って会いにいったのだ。

僕の悩みの中に、「自分で決められない」がある。自分の心の声に従って選択しようとする時はいつも、周りや家族の顔が浮かぶ。まあ、人間は社会的な生き物だから、当然のことかもしれないけど。

このことを相談したら、鎌倉幕府の御家人も唸るであろう、海よりも深い話をしていただいた。

それは、現代人の時間の使い方に警鐘を鳴らした童話「モモ」で有名なミヒャエル・エンデの短編集「鏡のなかの鏡」の一つだ。

迷宮の都市で育った少年は、都市から飛び去ることを夢みた。迷宮の全住民を支配する絶対的な条掟は「迷宮を去るものだけが幸福になれる。だが、幸福な者だけが迷宮から逃げ出せる」であった。

師匠である父に翼を生やしてもらい、飛ぶための訓練を受けた。厳しい指導を乗り越え、ついに最終試験を迎えた。少年に課された試験は、「漁師の網をまとい、一日都市を歩く」ことだった。その意味や目的は、自分で見いださなければならなかった。歩いていると、不幸な人たちが慈悲を求めて、各々の所有物を網に絡みつけた。少年は、幸福な者は薄情でないし、自分の幸福を分けてあげようと思っていたので、抵抗しなかった。網はどんどん重くなって行き、一歩進むのもやっとだった。少年はこの試験の課題を理解したように思えた。しかし、合格を告げる者は一向に現れない。

日暮れ時、海辺に少年と同じような翼をつけた4人を遠くに見つけた。彼らは、合格したと告げられていた。ふるえる手で網をいじくりまわすも、絡まって抜け出せない。少年は悟った。自分は落ちたのだ。自分の課題は「服従しないこと」だったのだと。少年は永遠に迷宮の住民となった。

鏡のなかの鏡 迷宮「ミヒャエル・エンデ、丘澤静谷訳」(岩波文庫、1990)短編その2(p8~15)の要約です。

少年にとって、幸福になる条件は服従しないことだった。周りがいくら不幸であろうと、慈悲を求めてこようと、自分の翼を守り抜かなければいけなかったのだ。空を自由に飛ぶには、自分の意志を貫くことが必要だったのだ。少年はそれができなかった。だから迷宮の住民となった。

僕も今、胸に秘めた思いがある。こうやって生きていきたいという思いがある。そしてそれを、親や友達、周りの人に言わなければいけない時は必ず来る。避けては通れない。

今回お話させていただいて、自分の考えを他人にさらすのは、意志を貫けるかの最終試験なのではないかと思った。

自分の思いを外に出した途端、その思いは、もはや自分だけのものではなくなる。当然、他人の感じ方はコントロールできない。どんな言葉を掛けられるのか、そしてそれに自分が耐えられるのかもわからない。自分の考えの幼さに恥ずかしくなるかもしれない。でももっと別の可能性を見つけられるかもしれない。

思いを言葉にして、大切な人に伝えて、一緒に考えてもらって、成長していけたらと思う。

P.S.
昨日の帰り道、人生で初めて自転車のチェーンが外れました。その事を報告したら、
「いろいろな意味で、鎖が外れていくのを楽しんでいきましょう♪」
面白い大人に会うって大切ですね!

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