今月、寮母さんが定年退職する。
僕は学生寮に住んでいる。大学寮とは違い、朝晩の食事が出る。また、風呂や洗面所、キッチンは共用だが、全員に個室がある。だから、学生寮内での交流は(僕は)ほぼゼロで、友達もいない。
寮母さんと話すこともあまりない。すれ違った時の「こんにちは」、食事を取りに行く時の「ご飯大盛りでお願いします」、食器を返却する時の「ごちそうさまでした」。基本的にはこの3つで生きていける。帰省や外泊の予定を話したり、部屋の家電の不調を相談することはたまにあるが、それでも関わりは浅い。
別に関わりが浅くても何の問題もないだろう。寮母さんと学生は、ドライに言えば商人と顧客の関係だ。お金を払っているから、その分のサービスを提供してもらう。
しかし、寮母さんは全員の名前を覚えていた。そんなことをしなくても、仕事は成り立つのに。
また、寮母さんは休日もお風呂を入れてくれた。本来は、休日はシャワーだけだ。
さらに、寮母さんは朝の館内放送を欠かさなかった。食事の用意ができた事、今日は何ゴミの日なのかを教えてくれた。これらはきっと、業務内容外のことだろう。
一週間ほど前の館内放送で、退職する旨を話されていた。何だか少しさみしい気がした。寮母さんの日々の仕事ぶりが目に入っていくうちに、親しみを感じるようになっていたのだ。僕は今年度まではこの学生寮にいるから、それまでは寮母さんに居て欲しかった。
そんなことを考えつつ、朝食を受け取りに食堂へ入る。長テーブルの上には、ちょっと高めの缶ジュースがずらり。缶の前にはこんな張り紙があった。
「一人一本どうぞ。皆さんへのお礼です。」
寮母さんは、どれだけ与えれば気が済むのだろうか。ジュースで釣っても、学生から色紙や花束が贈呈されることはないと分かっているはずだ。もし見返りを求めず、ただ感謝のためなのだととしたら。僕は仕事に誇りと生きがいを持っている大人に出会うことができた。
仕事に生きがいを感じている人と不満を感じている人。その割合はどの職業であっても同じだと言われている。誇りを持てる仕事は、商社マンやITエンジニアだけじゃない。自分の身の周りにだって、かっこいい大人はいるはずだ。僕が尊敬している、キャリア教育が専門の先生はいつもこう仰る。「キャリアモデルはあなたの周りに沢山あるの。偉い人の話を聞きにいく前に、あなたのご両親のキャリアを知りなさい」
何によって憶えられたいか その問いかけが人生を変える
ドラッカー名著集『非営利組織の経営』より
これは20世紀を代表する経営学者、ピーター・ドラッカーの名言だ。寮母さんがこの言葉を胸に刻んでいたのかはわからないし、大勢から賞賛されることも、新聞の片隅に載ることもなかったと思う。だが僕の記憶には「これからの社会を担う大学生に、安心で快適な生活環境をつくり続けた人」として刻まれた。この学生寮を選んでよかったと心から思えた。
「何によって憶えられたいか」
僕はまだこの問いに答えられない。ただ、その答えはコンサルタントとかCEOなどの職業名や役職ではないと思う。仕事を通じて自分の価値観を表現できてこそ、誰かに憶えられる人生になるはずだ。
寮母さんは、誰かの生活を支えることに生きがいを見いだしていた。だから、その価値観が表現できる仕事なら、どんな職業でもプロフェッショナルになっていたと思う。
「自分の価値観を表現できる仕事を探せ」
就活する未来の自分に、このメッセージを送りたい。
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