僕の住んでいる部屋は北側にある。それは僕が太陽光を克服していない鬼だからではなく、運命の悪戯によるものだ。入居を申し込んだ時には既に、北側の部屋しか残っていなかった。
朝日を浴びる効果はいろいろとある。体内時計がリセットされる、夜の寝付きがよくなる、生きていてよかったと思える、などなど。健康生活を心がける僕にとって朝日は欠かせない。曇りの日はロケットに乗って雲を突き抜けてでも、朝日を浴びて一日を始めたい。
目が覚めて部屋から出る。向かいの部屋のドアの隙間からは、オレンジ色の光が漏れている。部屋の中にいるだけで太陽に包んでもらえるなんて、羨ましい限りだ。北側部屋の住民に日照権が与えられているのは、寮内であそこしかない。
そう、階段だ。階段の窓は南側についており、そこから朝日を拝めるのだ。
目を瞑っていても、朝日はまぶたを貫く。
ある日、アルプスの少女が尋ねてくるかもしれない。「お兄さん、どうして朝日はこんなに眩しいの?」
僕は朝日に目をすぼめながら答える。「朝日は、お日さまが山にあいさつをする言葉だからさ。この世で一番眩しいのは、出会いの瞬間なんだよ。」
「夕焼けはどうして美しいの」のおじいさんの回答をググってパクったなんて、口が裂けても彼女には言えない。
僕は窓の前に立ち、両手で顔を覆っている。階段を通る人には、どう映っているのだろうか。向かいの建物の住人と交信中だと思われているかもしれない。
いつもイナイイナイバア 五回連続
ア・イ・シ・テ・ル のサイン
そこに美人が住んでいれば未来予想図が描けるかもしれないが、向かいの建物もまた男子寮である。
ふと、「いないいないばあ」に思考を巡らす。「いない」の反対は「いる」だ。顔を隠した(いない)状態から、顔の見える(いる)状態になるのだから、正しくは「いないいない・いる」なのでは?いや、「いない」と「いる」の数の対称性も含味すれば、「いないいない・いるいる」を正式名称とするべきなのでは?
ではなぜ、「いないいない・いる(いる)」が普及しなかったのだろう。実際にやってみるとなんとなくわかった。「いる」だと口の形は「う」になる。思いっきり「う」と言うとタコ顔になり、控えめに言うとキス顔になった。太陽様、大変失礼いたしました。八分後に平たい顔族のキス顔が届きますが、貴方の灼熱の炎で焼き滅ぼしてください。
という訳で、「ばあ」の方が断然無難だった。
部屋に戻り、同じことを考えた先人がいるのではとググってみた。FUJIWARA原西さんが「いないいない・・・いるいるいる」という一発ギャグをお持ちだった。
したい人、10,000人。始める人、100人。続ける人、1人。
中谷彰宏
「いあいいない・いる」において、僕は始める100人の中に入った。これを続けるかは・・・わからない。
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