今日一日で、五十回は転んだであろう。こんなに尻餅をつくのは、Newスーパーマリオブラザーズでヒップドロップを執拗に繰り出した罰だろうか。斜面に体育座りをしながら、曇天の空を見上げた。相変わらず雪は降り続けている。
吹き付ける風が頬に刺さる。ガリガリ君で擦られているみたいだ。防水の手袋は茹でられた白菜のようにしなり、インナーの裾には氷が張り付いている。「アナと雪の女王」のアナも、「すずめの戸締まり」の草太も、こうやって凍っていったのかもしれないな。過酷な運命を背負った主人公たちに思いを馳せつつ、初級コースの斜面を見下ろす。
痛い。寒い。帰りたい。
それでも、滑れるようになりたい。
スノーボードの上に立ち、つま先に力を入れる。あ、やべっ!転びそうになり、不意にブーツの背に体重を預けた。すると、ボードはゆっくりと滑り出した。おお!これか!ついに、自分の意志でスピードを変えられる感覚を掴んだ!さらに一時間ほど練習し、木ノ葉滑り(正面を向いてジグザグに滑る)の術を習得した。これで俺も、スノボ初心者の仲間入りだってばよ!
初スノボは楽しかった。でもこれは、風を切って滑っている時よりも、試行錯誤の過程で感じたことだ。「思いっきり転ぶ」感覚が新鮮でどこか懐かしかった。何度も立ち上がる「泥臭い」一面が自分にもあると思い出せて嬉しかった。
「自転車に乗れた時のことを思い出してごらん。何度も転んで、怪我をして。それでもめげずに頑張って、やっとできるようになっただろう。」
やりきる力の大切さを説く時、自転車がよく引き合いに出される。それは、自転車が多くの人にとって共通体験だからだ。そして、乗れるまでの試行錯誤のプロセスに価値を感じているからだ。
でもその経験は、とうの昔のことである。僕は自転車に乗れた瞬間も感動も、全く覚えていない。
筋肉は鍛えなければ衰えるみたいに、挑戦する力や粘り強さだって、放っておけば無くなってしまう。自転車に乗れることが「今の自分」にやりきる力がある証明にはならない。
「最近本気になれてないな」
そう感じたら、今週末はゲレンデに出かけよう。
コース横の雪山に突っ込むかもしれない。ボードの表刃が引っかかり、背中を撃たれるように倒れるかもしれない。でも、思いっきり転んでみると、失敗を過大評価していたことに気づく。ミスっても大したことないと思える。尻餅をつくとちょっとだけ痛いが、スケートよりはずっとましだ。そして気付けば、いつの間にかまた滑りだしている。
スノボはマッチのようだ。転んでお尻が擦れる分だけ、あなたの心に火は灯る。
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